【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・26歳〜28歳女性(23人)

【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・26歳〜28歳女性(23人)

【転職の決め手】
私の精神面がかなり着てしまって、仕事中に過呼吸になってしまう事があった。
体重も数週間で3キロほど減ってしまった。
顔もこけてきていたようだった。
性格もきつくなり、イライラすることが増えた。
なにもない時に涙がでたり、全く心が動かなくなって無になってしまう事もあった。
そのため、周りからも心配されていた。
身内からも心配され、メンタルクリニックを受診する事になった。
受診の結果、仕事によるストレスで中等度の精神疾患がみつかり、内服治療をすることになった。
それを職場に報告したが、受け入れてくれず、「そんな人なんてざらにいるから。
何かこっちからしないといけないことはないよね。」
と言われた。
このままでは自分がダメになっていってしまうと思ったため、その時に辞めてやると決めた。
【女性・看護師】
26歳のときに、老人向け施設/全部の科が入っていましたから、老人向け施設/ショートステイに転職。

【転職の決め手】
異動してきた同期の言動が威圧的で、周りの雰囲気が悪くなっていたからです。
上司からも注意してもらいましたが、注意されて少しの間だけ改善されますが、時間が経つと同じように威圧的な態度になるからです。
そんな日々が1年間続き、スタッフもその人が要因で退職する人もいました。
夜勤中はスタッフが3人しかいないのにナースコールをとらず、スマホのゲームをしていたり、後輩ナースに仕事を押し付けたりしていました。
注意しても改善されず、上司の呆れている様子です。
私が注意をしても聞く耳も持ちません。
その人と一緒に働くことが嫌になり、環境を変えたく、他の分野の看護もしてみたいという思いが強くなり、「絶対に辞めてやる!」と決意しました。
【女性・看護師】
26歳のときに、総合病院/消化器外科から、急性期病院/脳外科に転職。

【転職の決め手】
出来の良くない介護士がいた(恐らく軽度知的障害あり)。
1番古株なのに、1番が出来ず、みんなイライラしていた。
それを怒る事しかせず、その人が働きやすいように改善しようとしていなかった。
そして、上司は「みんなチームだから、仲間だから」と言っていたことに違和感を覚えた。
ある日、出来の良くない介護士の顔写真が施設内の壁に張り出されていた。
本人に断りもなく、説明もなく張り出されており、それを上司が見て笑っていた。
他の職員は何も思っていないのか、波風立てないようにしていたことにもさらに嫌気がさした。
そして、今まで毎日残業が1時間程度当たり前のようにあった環境にも違和感を覚えていたため、早急に退職する手続きをとってもらった。
【女性・看護師】
26歳のときに、大学病院/デイサービスから、老人向け施設/デイサービス(2社目)に転職。

【転職の決め手】
新卒で働き始めた時、1人の先輩看護師がかなり厳しく、病棟内でもみんな顔色を伺って仕事をしているような状況でした。
その人は仕事はできるので誰も逆らえないといった感じでした。
毎年新卒看護師誰かがターゲットになっていたようで、その年は私がターゲットだったようで、よく怒られていたし、厳しい指導だけなら分かりますが、仕事中話しかけても無視されるということがよくありました。
私としては苦労して看護師になったのになんでこんな目に合わなきゃいけないんだという気持ちでした。
その時は辞めるという選択肢は私にはなくて、今辞めてもスキルも何もないのに他の病院に採用なんてしてもらえないと思っていたので、とにかく3年は頑張ろうと決心し、耐えることしかできませんでした。
一年経ってその先輩看護師は他の部署に異動になりましたが、他の看護師も明らかに私をいじめてくるような人はいなくても、仕事のせいなのかみんなサバサバしていて、なんとなく居心地も悪く、お局看護師もいて、看護の仕事というより看護師の顔色を伺って日々業務をこなすだけになってしまっていました。
結局3年続けることはできたのですが、ストレスの反動で、休みの日はほぼ毎回朝まで飲み歩いたりして、二日酔いのまま出勤したこともあったりとすごく酷い生活をしていました。
このままじゃいけないと思っていたけど辞める自信もなくダラダラしていた時に、マッチングアプリで知り合った人がいて、その人から辞めたいなら辞めちゃえばいいじゃんとあっさり言われたことで、いい意味で辞めるってそんな簡単に考えてもいいんだと思うきっかけになり、辞める決意ができました。
親に辞めることを伝えた時は、辞めて次どうするの?とは聞かれましたが、もともと私の決めたことは尊重してくれるタイプだったので、引き止めはされませんでした。
【女性・看護師】
26歳のときに、大学病院/脳神経外科から、総合病院/脳神経外科、神経内科、呼吸器内科、血液内科等に転職。

【転職の決め手】
お付き合いしていた相手と結婚を考えるようになり、結婚後の生活について話し合いました。
この仕事を続けながらの結婚生活は土日休みの彼とはすれ違いが多いこと、夜勤が続く時や年度末の研究発表前はさらに忙しく家事負担も難しくなることを伝えました。
彼の反応は「看護師として働くなら今の大学病院以外にもいくらでも選択肢はある。
結婚して一緒に生活をするからには共に過ごす時間を大切にしたい。
土日休みで基本的に休日出勤もないような職場に転職してほしい」
とのことでした。
はじめは外来部門への移動も検討しましたが、やはり休日を犠牲にする看護研究は必須だったので大学病院自体を離れる決断をしました。
先輩、同期からは「寂しい」と言われ、上司からは「看護師としても女性としてももっと成長していく姿を見たかった」と言われました。
【女性・看護師】
26歳のときに、大学病院/内科から、訪問看護/訪問看護に転職。

【転職の決め手】
とにかく夜勤がきつく、体調を崩すことが多くなってきたので、このままでは身体がもたないと思い、絶対にやめようと思った。
休みは体力回復のために寝て終わるし、ただただ毎日が苦痛だったので、今考えるとやめてよかった。
周りにも相談したら、自分の身体が一番だから、自分の働きやすいところで働くのがいいと思うと言ってくれた。
外来への移動も勧められたが、一度急性期の忙しさから離れてゆっくりと働きたかったので、転職しようと決めた。
また、同期も同じタイミングでやめるという話をしていて、同期がいなくなるならここにいても楽しくないなと思い、絶対にやめようと思った。
1人だったら不安だったが、一緒にやめて転職する人がいると、とても心強かった。
【女性・看護師】
26歳のときに、総合病院/呼吸器外科内科から、診療所/内科に転職。

【転職の決め手】
先輩看護師が自分に当たりが強かったりどこに地雷があるか分からなかったりと毎日気を遣いびくびくして過ごしていた。
また、女性ドクターがこわすぎてふるえてた。
毎日どこかで悪口を言われてた。
職場の人間関係は最悪だった。
そんな状況で精神状態が最悪だったためか、うっかりミスが続くようになった。
そんな中採血中針刺し事故も起こしてしまった。
心身共にボロボロの中すごくショックだった。
そして、このままでは大きなミスで患者さんをいつか殺してしまうのではないかと毎日びくびくしてた。
取り返しのつかない事態になる前に辞めようと思った。
そして、環境を変えなければこのストレスからは解放されないと思ってボーナス月を過ぎたらすぐにやめることにした。
【女性・看護師】
26歳のときに、総合病院/内科から、老人向け施設/ショートステイに転職。

【転職の決め手】
当日勤務変更が月に何度もあり、コロナ病棟への派遣やチーム間応援など言葉は悪いが独身だから良いように使われることがとても多かった。
ベテランが多い為、動くのは中堅ばかりで仕事が負担になっていった。
ナースコール対応や重症対応、残業はほとんど少ない中堅でまわし、夜勤も多くなり身体がきついと感じることが多かった。
先に転職した先輩から働いてた病院のブラックさを客観的に聞き、ほかの看護師友達の病院での働き方を聞くうちに異常さがよく分かった。
辞めるのに交渉し、1年半かかった。
中堅がいなくなるのは病院的にもきついからといって何度も引き止められたがボーナス前でも辞めたいことを伝えるとしぶしぶ退職を了承してもらえた。
【女性・看護師】
26歳のときに、総合病院/内科混合から、総合病院/消化器内科、内分泌内科に転職。

【転職の決め手】
受付事務さんが忙しくてイライラしている日だったので、地雷を踏まないようにとその日も過ごしていましたが、伝票にハンコをつく手間を省くために事前に印刷機に入れる用紙には、その日の先生のハンコを押してある白い用紙に入れ替えておく必要があったらしく、どうやら白紙のコピー用紙が入ったままになっていたせいで手間が増えたと、「これ言われなかった?ここではこういうやり方をしてるんだから覚えて!」と怒られ、非常に頭に来た。
私はそんな説明は一度も聞いたことがなかったし、自分がやったこともなかったので、知らなかったのに、しかもその日いた看護師は私だけではなくほかにもいたのに、なぜ私がそんなに怒られないといけないのかがわからなかった。
今までは誰かが親切にやってくれていたんだろうけど、そういうのは基本的に事務がやることだと思うし、お願いするなら丁寧にお願いされた方が気持ちがいいのに、どういう立場でものを言っているんだろうと思った。
周りは見て見ぬふりというか、何も反応なし。
その人を変えることはできないし、辞めた方が早いなと思い辞める決意をした。
【女性・看護師】
26歳のときに、診療所/皮膚科から、総合病院/医療型療養病棟に転職。

【転職の決め手】
年上の先輩が次々と辞めていく入れ替りの激しい職場だったので、中堅へ先輩たちがしていた仕事がどんどんふってきて、勤務時間が終わっても帰れない日々が続いたり、委員会や新人教育など負担がどんどん増えていき、自分自身体調を崩してしまうことがあったので、このままでは身体がもたないと思い転職を決意しました。
また、業務量が増えても給料は全く変わらないし、残業手当も全然つかない状態だったので、割に合わないとずっと思っていたのもきっかけです。
先のことに対する不安はもちろんありましたが、このまま働き続けても自分にとってマイナスでしかないのではないかと思い始めると、今の仕事がすごく嫌になり、違う職場で環境を変えて働きたいという気持ちが強くなりました。
【女性・看護師】
26歳のときに、総合病院/呼吸器科から、診療所/内科に転職。

【転職の決め手】
退職を上司へ相談した時に、「あなたは、うちの病院に何を残しどれだけの貢献をしたのか?」と言われた瞬間。
この5年間のスキルアップのための訓練や学習、研究活動に教育活動、全てにおいて何のためだったのだろう?とかなり、ショックを受けました。
それと同時に、私たち末端のスタッフはただの頭数としか思われていない、まるで奴隷のような扱いだと幻滅しました。
看護学生や新人の頃抱いていた、全ては患者さんのために!といった純粋な気持ちも打ち砕かれました。
認められたい、こんなに頑張っているのに。
という思いはただの私のエゴだったのかもしれませんが、上司であろうと部下であろうとお互いに尊敬し合えない環境は、絶対に良くないと思い退職を決意しました。
【女性・看護師】
27歳のときに、総合病院/脳神経外科から、田舎の病院の混合病棟に転職。

【転職の決め手】
新人の頃に先輩からの指導が厳しく嫌味を言われたり理不尽に怒られることも多かったため数年働いたら辞めようと決めていた。
嫌な先輩が辞めて年数が経っても苦い思い出が消えなかった。
経験年数や年齢は関係なく救急の知識がある人がえらいというゆような風習があり医者にも偉そうに話す看護師も多く、そんな環境で働き続けるのが嫌になっていた。
重症患者が多く助けられない命も多かった。
緊急で運ばれ受け入れられない家族やケアに対する不満を持つ家族も多く対応に困る場面が多かった。
後輩ができたらフォローするのも大変で、重症患者を何人か受け持たなければならない時など余裕がない場面でも後輩のことも気にかけなくてはならず、プレッシャーが大きく勤務時間が辛かった。
【女性・看護師】
27歳のときに、病院/循環器ICUから、病院/脳神経外科HCUに転職。

【転職の決め手】
管理者と話し合って、異動の希望は通らず早くても半年後で異動しても2年くらいで戻ってもらうと言われたり、系列の遠い病院への異動を勧められたりと頓珍漢なことを言われ、話にならないと感じた。
その間にも体調が悪化し、診断書を提出して休職を希望したが、そもそも看護師長が診断書を受け取らずしばらく放置というかわざと避けられるような対応されてしまった。
そこで初めてもう辞めてやると決心したが、体調が悪いのと管理者に避けられてしまい話し合いが進まずうんざりしていた。
部署の人たちは変わらず忙しそうだが、体調を気遣うLINEをしてくれた。
嫌いな人たちは相変わらずイライラした様子だった。
病休扱いになってからすぐ夫の転勤が決まり、これで辞める口実が固くなったと感じた。
【女性・看護師】
27歳のときに、総合病院/HCUから、総合病院/腎臓内科・循環器内科に転職。

【転職の決め手】
夜勤専従勤務の夜勤入りの時に姉の夫が急死した。
そのことを伝えた際に上司から「亡くなるのは前からわかってたことなの?」「今日夜勤だよね?代わりの夜勤は誰に頼むか考えた?私今日休みだから自分で病棟に電話して主任と相談して誰に頼むか考えて。」と言われた。
人の生き死になんていつ来るか分からないのに、ましてや医療者としてのこの発言にとてもショックを受けた。
この後この上司の兄弟が亡くなった時は直ぐに長い休みを取っていた事。
このできごとから上司への信頼は無くなったのと看護師としてどうなの?という思いが強くなって上司の行動を見てると自分の事は守るがスタッフに何かあった時は守ってくれない、自分が怒られるんだからと伝えてくる事にこの人の下では働けないと思い転職を考えた。
【女性・看護師】
27歳のときに、急性期病院/泌尿器科腎臓内科から、療養型病院/外科整形に転職。

【転職の決め手】
部署の異動がありベテラン層が少なくなったため今までベテラン層が行っていた仕事が下の層に回ってきて仕事量が増え、責任も増えた。
給料も変わらず手当もつかずでこのまま変わらなければやめようと思った。
また、ハイレベルなことを求められるようになり勉強量も増えて自宅にいても仕事のことを考えるようになりストレスが増えた。
ベテラン層がぬけ新人が入ってきたためその教育についても任される事があり精神的にも負担だった。
同僚も同じ気持ちで愚痴を言うことが増えた。
その中で上京したいと言う気持ちが前々からありこれを機会に辞めようと思った。
同僚にも同じことを考えているの人がいたが、人手不足でやめづらい雰囲気があり同時にはやめられずみんな時期を待っている感じだった。
【女性・看護師】
27歳のときに、大学病院/集中治療室から、総合病院/脳外科、循環器内科、眼科に転職。

【転職の決め手】
年度末に必ず上司との個人面談があり、次年度に向けての目標等を話し合う必要があった。
転職の意向を伝え転職時期について相談をしようとしたが、「私にはわからないから。」と言われた。
「看護部に相談する。」とだけ言われ、直属の上司なのに私の気持ちをしっかり聞こうとはしてくれないのか、と本当に嫌な気持ちだった。
なぜ今までの私をその目で見てきた上司なのに、転職に至った思いを聞こうとしないのか。
スタッフ1人1人に興味持てよ、と腹が立つ。
新卒からお世話になった病棟だったため、少しでも転職が決まっても残りの時間は病棟への恩返しのつもりで変わらず精一杯働こうと思っていたが、上司の態度を見て、「すぐに辞めよう。」と決意した。
【女性・看護師】
27歳のときに、総合病院/呼吸器内科から、老人向け施設に転職。

【転職の決め手】
毎日45分の前残業、6時間程度の後残業の状態が約8ヶ月程度続き、家で休む時間が取れない状態が長くなって来ました。
睡眠も十分に取れず、休みの日にも、係活動や委員会活動をするようになりました。
少し自分の時間があっても、いろんなことにだんだん興味関心が持てなくなりました。
旅行が好きだったのですが、旅行のことを考えるのもただの夢だと思うようになりました。
時間があるとぼーっとするだけで、時間が経っていきました。
気がつくと泣いていることが多くなっていきました。
初めは家で一人泣いているだけだったのですが、退職を決める直前の方は、何もないのに涙が止まらないことが職場でもあり、コントロールできなくなったため退職しました。
【女性・看護師】
28歳のときに、大学病院/脳神経外科から、総合病院/整形外科に転職。

【転職の決め手】
当時ICUだったので、様々な重症患者が運ばれてくるので、知識が広く浅かったので、もう少し専門的な知識を身につけたかったので転職しようと決めました
広く浅く知識を持っていても、今後この患者さんがどういう経過をたどって、どんな治療をして回復していくのかがいつもわからないまま、転出していたので最後まで経過を追いたかったため
人間関係においてもリセットしたかったので
ずっと同じ同期と同じ場所で働いていたので、少々嫌気がさしていました
新たな気持ちで新たなスタッフと一緒に働いてみたかったので単色を決意しました
特に周囲は何も起きていませんし、周りの反応も勉強するなら頑張ってこいと快く送り出してくれました
決意して後悔はしませんでした
【女性・看護師】
28歳のときに、総合病院/救命センターから、大学病院/ハートセンターに転職。

【転職の決め手】
看護師長に売られたことです。
入院患者からのクレームを全て私の責任しました。
私は当事者でもなければ、その場にも居なかったのに、どこでそんな話になったのかサッパリ解らないまま、私は患者に頭を下げ謝罪したあと、自宅謹慎処分になりました。
それまでの積み重ねもありましたが、これはさすが酷いと思い辞めることを決意しました。
看護部長に退職を申し出たあとも酷かったです。
退職の意思を伝えると、別部署に異動の辞令が突然出て、異動先が総務課でした。
退職すると言っているのに、「看護師としては仕事させられないの。」との言われ、日本語が通じないのかと思いました。
あとから聞いた話ですが、どうやら看護師の人数が基準以下になっており診療報酬が減算される状態だったみたいです、だから一人でも辞めるとヤバイ状態だったみたいです。
どんなカラクリか解りませんが、勤務実態がない看護師が書類上は病棟勤務看護師として名前が挙がっていたとか、聞いた話なのでどこまで本当か解りませんが。
私も名前だけ病棟に在籍する形になっていたのかもしれません。
【女性・看護師】
28歳のときに、総合病院/脳外科から、回復期病棟に転職。

【転職の決め手】
スタッフロッカーは手術室看護師のみで1室を使用していたが、朝ロッカーで先輩にあいさつをしても無視された。
ある朝私が機械出し準備を行っていたが特に手伝ってくれる様子もなく、外回りの先輩は自分の準備が終わったら外で他の先輩と後輩の悪口を言っていた。
話しやすい先輩も中にはいたが、ほとんどの人が手術室の英才教育に毒されているのか、一晩で記憶できる量じゃないものを覚えてこなかったことに関して寛容ではなかった。
手術のまとめがその日のうちに終わらず、何個も課題が溜まっていく状態で、仕事から帰宅したらご飯にかけるだけのレトルト商品を流すこむように食べて、毎日ソファー力尽きていた。
心身ともに弱っていても同期も同じ状況で、15人いた同期は半年で8人になった。
【女性・看護師】
28歳のときに、総合病院/手術室から、総合病院/消化器外科に転職。

【転職の決め手】
嫌々ながらも自分なりに一生懸命に時間外に看護部が定めた病棟の特性の発表会のリーダー業務をつとめたが、主任及び師長から自分のやり方を真っ向から否定され業務を振り出しに戻されたことで心が折れた。
そもそも看護業務でもない自己満足のために時間外をあてること自体が間違っているしモチベーションも逆に下がってしまうと思った。
加えて夜勤業務や度重なる時間外労働で自律神経が乱れ、体調が急激に悪化した。
まだ20代なのに慢性的な脚の痺れや腰痛に悩まされたうえ、ストレスで食欲が落ち激痩せした。
日々人手不足の中で目が回るほど忙しく、毎日のように病棟でインシデントが起こるのに人員の補充をしようとせず業務改善でなんとかしようとする看護部や病院経営のあり方にも不信感がつのった。
【女性・看護師】
28歳のときに、総合病院/脳外科、整形外科、皮膚科から、地域包括支援センターに転職。

【転職の決め手】
回りと上手く行かなかった。
後輩は大事にされていたが私達の世代は大事にされず、雑に扱われ続けてきたため。
後輩が助長してきて限界になった。
仲の良い同期もやめてしまったため愚痴を言い合える人もいなくなったのが辛かった。
結局同期で残ったのは自分だけだった。
そんな時に夫と結婚し、夜勤を辞めて日勤勤務をして欲しいと言われ、心が動いた。
結婚式も控えていたためのんびり準備するのも悪くはないと思った。
結婚式に、職場の関係者もあまり呼びたくなく、仲の良い人だけを呼びたかった。
しがらみから解放されたかった。
もういい加減疲れた。
上司に相談したら研修に出されてしばらく辞められず、心が限界になってしまった。
看護部長との面談で辞めたい旨を伝えて辞めさせてもらった。
【女性・看護師】
28歳のときに、総合病院/脳神経外科 神経内科から、総合病院/内科、脳神経外科に転職。

【転職の決め手】
半年前には意向調査があり、辞めるのは年度末という決まりがあった。
意向調査を師長に提出した際は、受け取ってもらえたのに、その後、看護部長との面談が設けられた。
普段会うことのない看護部長から、辞める理由や辞めた後の計画を根掘り葉掘り聞かれた。
実家に帰りたいことや親の介護のことなどを理由に答えると、「親は親の人生であって、あなたは自分の人生を考えなさい。
そんな理由で辞めてあなたは良いのか?そんな理由で辞めて今後、どうするのか?今までのスキルが勿体無い。
もう一度、よく考えなさい。」
と辞めることを全否定された。
私自身、明確な理由があったわけではないが、なぜ、ここまで言われないといけないのかという気持ちになった。
このことを問い12の【相談した人】の先輩に伝えると、「あの人たち(看護部長や管理職)は辞めたことがないのに、なぜ、辞めたら良くないって言えるんだろうね。
ずっと、同じ病院でしか働いた方がないのに。」
と言われた。
確かに、辞めた方がない人に辞めるのを止められても説得力ないなと納得できた。
【女性・養護教諭】
28歳のときに、総合病院/外科から、養護教諭に転職。