【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・男性(15人)

【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・男性(15人)

【転職の決め手】
転職を決意したのは、仕事以外の趣味で足を怪我して手術することとなった。
その後、1ヶ月は社会復帰はできないと主治医に言われたが、2週間程度で松葉杖で仕事復帰をしてほしいと言われた。
仕事できないと言ったが、電話対応だけでも良いからしてほしいと言われ、5日勤2休みで残業もある生活を松葉杖でした時にやめようと決意した。
周りからは労いの言葉はあったが、数日後にはその生活に慣れてしまい、松葉杖でも当たり前に仕事を依頼されるようになっていた。
結局足の痛みが増強してしまい、その後仕事中の痛みで緊急受診が必要なったこともあった。
医療人として病人に対してケアしているが職員が病人になった際のケアが怠っているのが気になったのが大きかった。
【男性・看護師】
24歳のときに、総合病院/脳神経外科、耳鼻咽喉科、皮膚科、眼科、歯科の混合病棟から、病院/回復期、内科病棟に転職。

【転職の決め手】
毎日のように勤務の始まる1時間前には出勤し、1時間以上残業して帰るという生活が嫌になりました。
仕事内容も休憩をとる余裕がないくらい激務で、忙しすぎて患者さんと上手く関わることができなかったのも嫌になっていました。
仕事のために生活している感覚になっており、そういう人生を今後ずっと歩んでいくと考えると何のために生きているのかわからなくなりました。
こういう働き方を定年まですると考えると自分の人生に後悔が絶対残ると思いました。
給料は最低限あればいいので、それよりもプライベートの時間を充実させたいという気持ちが強かったため、当時の職場を絶対辞めようと強く思うようになりました。
家族も精神的に参るよりは自分の働きたい職場で働く方が良いと転職に賛成していました。
【男性・看護師】
25歳のときに、総合病院/脳神経外科から、病院/精神科に転職。

【転職の決め手】
重症度が高く、せん妄患者も多いため自己抜去が多くなり、自分自身も受け持ち患者に中心静脈カテーテルなどの重要なルートを抜かれることも多くなりました。
その語夜勤明けで疲れ切って記録をしているときに安全管理センターから電話があり、状況把握のためといいつつ看護師個人の責任追及のような質問に答えているうちに、なんでこんなことしないといけないのか、勝手に点滴を抜いたんだから勝手にすればいいんじゃないか、なんでこんなに看護師が責められないといけないのか、患者のことを重要視して考えることはいいと思うが、我々看護師の気持ちなどはないがしろにされているんじゃないかといったような気持ちが強くなり、転職を決意しました。
【男性・看護師】
26歳のときに、総合病院/CCUから、訪問看護/循環器・訪問看護に転職。

【転職の決め手】
私自身は当時、手術室看護師はやりたくなかったのですが、当時の上司からは「そろそろ入らないとダメだよね」と言われていました。
無理強いはされていませんでしたが、先輩達は手術室に入って働いてましたし、その中で自分だけが入らないというのは避けられないのではないかと、かなりプレッシャーを感じていたのは確かです。
また、当時はその病院での仕事自体に楽しさややりがいを感じられなくなっていた時期であったこともあります。
片田舎の病院でずっと働くのかと考えると、気分的に落ち込んでいました。
街にあこがれていたのだと思います。
周りの反応は特別変わったものはなかったと思います。
辞めることを残念がってくれていましたが、「やるからには頑張りなさい」と激励していただきました。
【男性・看護師】
26歳のときに、総合病院/外科、整形外科の混合病棟から、総合病院/整形外科に転職。

【転職の決め手】
病棟経験のない私でしたが、プリセプターは異動後約2週間で病欠となり、5年間の手術室での看護師経験のある私はすぐに受け持ち人数を増やされ、緊急入院も取らされいっぱいいっぱいでした。
記録の遅い私は、休憩でもお弁当を食べたらすぐに出て記録をし、ほとんど休憩していませんでした。
私が手術室から循環器内科へ異動した際に、専門学校の一つ下の学年の子が病棟でバリバリ働いていました。
ある日その後輩が夜勤リーダーで、日勤の私が緊急入院の患者情報を申し送りすると、出来ていないことを端から端まで突っ込み、悪態をつき、小さな小さな私のプライドは粉々になりました。
師長にも異動後の面接でしんどいことを伝えましたが、何もフォローはありませんでした。
辞めた後で聞いた話ですがその師長はかなり問題のある師長で、私が辞めた翌年に移動になったそうです。
【男性・看護師】
27歳のときに、総合病院/循環器内科から、総合病院/手術室に転職。

【転職の決め手】
辞めると決意したのは、地元に帰省したときに集まった同級生全員から地元に帰ってこい、帰ってきたらいつでも皆と集まれるだろうっと言われたからです。
辞めようと思ったのは職場になかなか馴染めず、覚えも悪く手術の手順を理解できないことが多く、その部分を責められたからと、当時付き合っていた彼女の学費を払っており掛け持ちをしながら仕事をしていたので、それに対する身体的負担があったからだと思います。
彼女が自分が転職しようと思ったときにちょうど卒業だったので、この機会を逃すと地元に帰れないと思いました。
周囲の反応は帰ってきて正解だとの反応でしたが、帰ってきて気づいたことは、地元にいないときのほうがみんなが集まってくれたことです。
【男性・看護師】
28歳のときに、総合病院/手術室から、病院/精神科に転職。

【転職の決め手】
同じ病棟で働いている看護師がかなり周りを引っ掻き回す人であった。
病棟編成もあり、その病棟ではその人が長く務めていたのと管理者も退職や休職が重なり、その人が昇進をした。
その人には、異動時から有る事無い事の噂話を流されており、かなり苦労していたので、きっかけはそのタイミングである。
そんな中、お世話になっていた看護部長が突如、経営陣から退職となりその理由が不明瞭であり、また納得できる根拠がないものであった。
新しくきた看護部長は、男性の看護師を好んでいなく、私の強みであるスキルを活かせる職場環境が全くなくなってしまった。
昇進をした看護師のせいで、新人看護師や中途職員などがメンタルヘルスの不調などを理由に退職となってしまい、看護師総数も足りなくなる現状となったため退職した。
【男性・看護師】
28歳のときに、急性期病院/外科から、総合病院/ERに転職。

【転職の決め手】
奥さんからの「子供の為に稼いできなさい」という圧が強かった。
義父や義母からも「今時お礼奉公なんで時代遅れだから辞めなさい」という圧が強かった。
准看護師時代の友人に相談したら、「かなり稼げる病院に勤めているから、うちに来なよ。
転職したい人がいると話をしておくよ」
と転職先を紹介して貰った。
また、「退職願ではなく、退職届を出せば職場は辞めることに対して何も言えなくなる」という話を聞いて、退職願を出して上司と色々話をした後、退職届を改めて提出した。
看護学生として給料を貰い、学生時代の2年間、病院の寮にも入らせて貰った恩義はあったが、資格取得後に2年は勤務していたので、とりあえずの恩は返したかなと思った。
【男性・准看護師】
29歳のときに、病院/精神科から、療養型病院/療養型病床群、内科、神経内科に転職。

【転職の決め手】
仕事に行くたびに先輩から嫌味を言われたり誰とも会話をできない状態でした。
他の周りの人たちも見て見ぬふりだったり笑っていました。
出勤するたびに「絶対に辞めてやる」という気持ちが強くなっていきました。
上司に相談したら止められましたが気持ちは揺らぎませんでした。
周りの反応は冷たい人もいましたが応援してくださる方もいました。
僕がいた職場は人のミスを馬鹿にしたりと意地悪な先輩がリーダー格で誰も逆らえる人はいませんでした。
こういった日常を周りの友人たちには伝えていたので早く辞めたほうが良いと皆には言われていました。
また、たまたま今の奥さんと出会い、遠距離恋愛だったので奥さんの住む場所へ早く引っ越したいという気持ちもありました。
【男性・看護師】
30歳のときに、総合病院/整形外科から、病院/精神科に転職。

【転職の決め手】
看護部長が人事異動の権力を持っており、収入面や残業など部署異動は希望していなかったが、業務命令だと一切話を聞いてくれなかった。
直属の上司や師長クラスの上司の方も話は聞いてくれている雰囲気は出しているが結局は看護部長の言いなりであり、下の者や中堅看護師の意見はあまり聞いてもらえなかった。
うちの病院は代々ベテランと新人が多く、中堅看護師になると病院のことが分かってきて、退職者が多くなる傾向があった。
おそらく病院系経営の問題点や看護部長、師長などの人間関係や昇進を狙うような足の引っ張り合い、権力争いが分かってきてそのような者の下では働きたくないという思いが出てくるのだと思う。
そのため、それを知らなかった若手時代は看護技術の向上だけを目的として期が熟したら退職するものが多いと思う。
私もその1人である。
【男性・看護師】
31歳のときに、総合病院/整形外科 泌尿器科 呼吸器内科外科から、看護師が対応するコロナ専用のコールセンターに転職。

【転職の決め手】
まずは彼女と同棲するために、過去の職場では遠すぎたこと。
管理職にならなければ給与があがらないという給与形態に納得しなかったから。
その形態を知っていた労働組合の職員がバタバタと辞めていったのを見て、給与に関して未来がないのではないかと意識するようになった。
事前に退職する意思を伝えていたにも関わらず、有給を十分に消化できないことを前もって言われたことで信頼を無くした。
コロナ病棟のせいで、業務量が増えて多忙にあったが、病院からは目立ったボーナスなどはなかった。
定時で帰って、プラベートを充実させるためには、この病院では難しいと考える期間が数年前からあった。
年を重ねて、3交代という激務をこなす自信がなかった。
【男性・看護師】
31歳のときに、急性期病院/整形外科 脳神経外科から、病院/整形外科に転職。

【転職の決め手】
内科病棟のスタッフがコロナ患者病棟の担当になった。
内科病棟のベッド数が縮小され、入院制限もかかったため、その分溢れた患者が他病棟に入院することに。
担当科ではない患者を見ることに慣れていなかったため、業務が多忙になった。
また、ただでさえ緊急入院が多い病院、病棟だったたのに残業がさらに増えストレスが増した。
疲れていると自覚する回数が増えたように感じた。
そしてプライベートでも引っ越す理由ができたので、退職することを考えるようになった。
加えて、給与形態が役職がない一般スタッフは長年働いても基本給が上がりにくいという制度が本社から提示された。
今後長年働いて貢献しても給料が上がりにくくなることに納得がいかなかった。
キャリアよりプライベートを充実させたいので、管理職になる気はなかったので転職の要因につながった。
【男性・看護師】
31歳のときに、総合病院/整形外科と脳外科から、病院/整形外科に転職。

【転職の決め手】
仕事がハード過ぎて看護師2年目に、師長へ辞めることを話しました。
その時はすでに8割辞める気持ちが固まっていました。
その際に「人がいないから辞めないで」「困ってるから」「病院がいかに人手不足か」を遠まわしにクドクドと説明されました。
自分の都合ばかり話す師長。
まだ、私にとっての、メリットを語れば気持ちが動いたかもしれません。
例えば、「ここで経験を積んだ方が後にいきる」「大きな病院なのであなたにとって福利厚生などのメリットがある」
私の気持ちを聞いてくれ、不安や、愚痴を聞いてくれるだけでも良かったかもしれません(とはいえ、この時点で辞めることは8割決めていましたが)
「人がいないから=誰でもいい」ということだということ分かり、ここにはいてはいけないと、決意が固まりました。
【男性・看護師】
32歳のときに、急性期病院/神経内科から、急性期病院/小さな病院なので全科に転職。

【転職の決め手】
リーダーをしていたある日、助勤に行くように師長から指示があった。
先輩看護師、後輩看護師など行ける人の采配をしていたが、後輩看護師のやりたい事を考慮して先輩看護師に助勤を頼んだが、そこで激怒された!なぜ後輩看護師の事を優先して自分が代わりに助勤に行かなければいけないのかとすごく怒っていた。
師長やリーダーが考え決定したことだが、わがままでその決定さえ覆し、職場の雰囲気をみだしやりたい放題の職場環境ではまともに仕事ができない、そんな事に悩みながら人生を送るのはこの先自分にとってプラスになるのであろうか?と疑問に感じだした!そして、環境を変えればいいじゃないか、仕事なんていくらでもある、看護師に固執する必要はないと考え決断した。
【男性・看護師】
33歳のときに、総合病院/手術室から、農業に転職。

【転職の決め手】
日々、残業残業でかなり疲れていたし、医療事故と隣り合わせのような状態で働くのが嫌だった。
同期や同僚が次々と辞めていき、残された人はさらに疲弊。
2年目が新人を指導するなんて異様な状態だった。
中途で入ってきた人が1週間もせずにやめていったりすることもあり、普通じゃないんだろうなと思っていた。
中にはすごくできる先輩がいて尊敬していたのにその人たちも辞めてしまい、このままやっていくのが不安だった。
師長に辞めたいことを告げると、残された人たちはどうするの?と言われたけど、じゃぁこのまま精神すり減らしてここで自分を犠牲にしろというのか?とイライラした。
さらに部長にそのことを話しにいった時、部長に別人の名前で呼ばれてあぁ、この人にとってスタッフなんてただの駒なんだろうなと思った。
それで絶対にやめてやると決意しましたね。
【男性・看護師】
35歳のときに、総合病院/内科から、療養型病院/内科に転職。