【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・29歳以上の女性(20人)

【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・29歳以上の女性(20人)

【転職の決め手】
新人というだけで信頼がなく、私が聞いたこと、言ったことは全然信じてもらえなかった。
プリセプター不在時に私を指導した看護師が裏で私が失敗したことをすべてプリセプターに報告しているのをたまたま聞いてしまったことがありこうやって裏で言い合ってるんだなと実感した。
退勤後外の公園で夜な夜なひとり酒を飲み、帰宅しようと手に缶を持ったまま歩いていたら、先輩とすれ違い手に持っているのを見られた。
その翌日、先輩から昨日は良いものを手に持ってたわねー。
とわざとらしく言われ、その後師長に呼び出され行動注意の指摘をされた。
自覚がない。
あなたの地元はそうやってるんですか?と。
私もストレスで外で飲酒をしてしまったが、まさかプライベートまで指摘されるとは思わず本当に居心地が悪くなった。
【女性・看護師】
29歳のときに、総合病院/消化器外科から、総合病院/内科に転職。

【転職の決め手】
医師から心電図を外していいと指示があり、自分なりにも患者の状態からアセスメントして外して大丈夫だと考えた上で外したら何も理由も聞かずに何勝手に外してるんだ!!と患者や色んなスタッフが見てる前で大声で怒鳴られた。
勢いに泣いてしまったら、ようやく泣いたなと笑って言われた。
毎日日勤が終わるのが22時頃で、それでも毎日課題を出されて寝なくていいからやってこいと言われ、やってこれなかった日は仕事をさせてもらえないという日々が続いた中での出来事だった。
理不尽な怒られ方と泣かせたことに満足してる姿を見て、こんなところにいたら自分の感情が麻痺すると思った。
元々いるお局先輩方は何事もなく仕事をしていたけれど、他の病院から来た先輩看護師はとても心配してくれて帰りに沢山フォローしてくれた。
その状況を見ていた患者からも、あれはひどい、大丈夫かととても心配された。
【女性・看護師】
29歳のときに、総合病院/腎臓内科、代謝内科から、総合病院/泌尿器科、消化器内科、総合内科、放射線科に転職。

【転職の決め手】
患者さんからの暴力行為が決め手でした。
16時間の夜勤中にずーっと暴力を受け続けました。
そして他の患者さんにも支障が出る可能性があったので、仕方なく拘束しました。
それを監視カメラで次の日上司にみつかり、呼び出され、説教されたので、その際にかっとなって退職したい旨を伝えました。
それ以外にも、お局看護師の行動に嫌気がさしていたこともあります。
委員会の仕事が多すぎて家に持ち帰って仕事をしなければいけなかったこともストレスでした。
また、新人看護師の教育がうまくいかなかったことも大変ストレスでした。
また、毎年多くの人が退職しており、仲の良かった同期達が皆いなくなってしまって、心の支えがおらず辛かったことも大きいです。
【女性・看護師】
29歳のときに、総合病院/地域包括ケア病棟から、老人向け施設/デイサービスに転職。

【転職の決め手】
手術室に部署異動となってから、仕事を覚えるために毎日朝7時30分に出勤し、予習や準備をする日々が始まった。
それでも先輩達には「仕事ができない!」「いい加減に覚えろ!」と叱責された。
ある日、病院長から認定看護師の資格を取るため大学進学を勧められた。
病院長からはどの認定でも可と言われてたが、手術室の看護師長からは手術室看護の認定看護師を取れと強要された。
現在毎日修行僧のような日々を送っていて、手術室の認定看護師になってしまったら今後の部署異動は不可能となってしまうと思い、転職を決意した。
そもそも手術室への部署異動も自分の希望ではなかったし、先輩達からの理不尽ないびりで精神的にギリギリの状態だった。
【女性・看護師】
29歳のときに、総合病院/血液内科、手術室から、総合病院/外科、泌尿器科、腎臓内科に転職。

【転職の決め手】
夜勤は3人体制ですが、後輩と一緒になることが多く、リーダーを取ることが多かったです。
自分の受け持ち+後輩たちの受け持ちをみなくてはならず、忙しくても全体を見ることがつらかったです。
かと言って後輩たちは私の受け持ちのことは見てくれません。
加えて技術的に私しか受け持ちできない患者さんがいて、訳ありの患者さんだったため、放っておくわけにいかず休憩も眠ってはいけない状況でした。
そのことを師長に伝えても後輩たちにやらせればいいじゃない、後輩に伝えてもはいというばかりで実際にやろうとしないという状況が続き、嫌になりました。
そのような勤務の後は帰ってから寝まくってしまい、気付いたら次の日、休みも1日しかないため、すぐ終わってしまうといったことが続きました。
【女性・看護師】
30歳のときに、大学病院/脳神経外科から、保育園に転職。

【転職の決め手】
産休前に、役職が就き、それまでの外来業務とさらに管理職業務をしなければならなくなりました。
管理職に就くことになっからには頑張らなくてはと思っていたのですが、実際はそれまで外来で働いていた看護師や、他の病棟で働いている看護師達は勤続1年で役職に就いたことを面白く思っていなくて、陰口を言われていました。
病棟からわざわざ外来まで私を見にきた人までいました。
大卒だからってすぐ昇格してと言われていたと知った時はショックで、ここでずっと働いていくことは難しいなと感じ始めました。
その後看護研究をやることとなったのですが、結局大卒だから出来るでしょと外来看護師の数人の看護師達は非協力的で、管理職業務と看護研究、家に帰ると家事と育児が待っている状態で、かなりしんどかったです。
【女性・看護師】
30歳のときに、病院/精神科から、訪問看護に転職。

【転職の決め手】
スタッフの一人が、他の人の悪口を休憩室で大きな声で話したりしている姿を見て、もうこんな所いたくない!と思った!そういう話を聞きたくなくて、休憩中は違う部屋にいて過ごしていた事もあった。
当時は30代40代の人が多かったため、悪口とかも多かった。
看護師長も一緒になって悪口言ってて、管理者がそういう事してはだめだよなーと思った!看護師長はスタッフのこと一人一人ちゃんとみてないし、この場にいたくない!と思いながら働いていた。
でもそれをどうにもできないから、自分が我慢するしかなく、最後はあまりコミュニケーション取らずに過ごす事がおおかったから、結構辛かった思い出がある。
周りはいつもと変わらずという感じで、自分一人が考え過ぎている感じだった。
【女性・看護師】
30歳のときに、総合病院/循環器科から、大学病院/救命救急センターに転職。

【転職の決め手】
余裕のない夜勤前の時間帯に副師長に呼ばれ、皆がいる前で怒られる(内容は覚えていないくらい些細なこと)。
今までの色々なことが積み重なりプチンと糸が切れ、夜勤が終わったら絶対やめよう!と決意した。
理由はさまざまで、副師長からの無視、みんなの前で公開処刑される。
また、同期の女の子は先輩から「あんた必要ないからやめな!」と言われ、見ていて苦しかったし、何も助けてあげれないことがつらかった。
ある一人の男性看護師は暴言(なんでそんなこともできないの、馬鹿じゃないのなど)を吐いたり、仕事が雑なため誰もパートナーを組みたがず、先輩の操作で必然的に私と組まされることが多かった。
もちろんその男性看護師の私への当たりはきつく、定時を過ぎると仕事を押し付けられたり、仕事中は質問攻めにされたり、課題を出されたり、暴言を吐かれたりとされ、さらに長時間労働で身も心もボロボロになっていった。
【女性・看護師】
30歳のときに、大学病院/内科から、病院/精神科に転職。

【転職の決め手】
都心のため移動は車ではなく自転車を使っていました。
以前勤めていた訪問看護ステーションはだいたい半径1km以内の依頼しか受けなかったため1回の移動時間は長くても15分程度の上なるべく移動距離を少なくするように管理者が訪問スケジュールを組んでくれていましたが、このステーションでは30分以上の移動時間もザラでした。
30分あれば訪問が1件できるのに本当に無駄だと思っていました。
私はステーション利用者の中で最も遠い4km以上離れたお宅に週2回訪問しており、体力的にきついのでせめて1回は他の人に代わってほしいと言っていました。
管理者は「次に新しい人が入ったらそうする」と言い、その言葉を信じて待ち続けましたが、半年ほどで3名新しいスタッフが入ったにも関わらずその約束は叶えられませんでした。
3回目に「やっぱりスケジュールが組めないから引き続き週2回行って」と言われたときに退職を決意しました。
【女性・看護師】
32歳のときに、訪問看護/訪問看護ステーションのため科はなしから、看護師ではなく一般事務に転職。

【転職の決め手】
最後に、看護部長に退職の旨を相談しに行ったのですが「そうやって子育てをしながら夜勤をしている人は他にもたくさんいる。
自分のやるべきことを終え
勤務が終わったら、周りの目など気にしなくていいんだから定時に帰りなさい。
(実際にみんな超勤をしており、気にしないことは精神的にしんどい)あなたがモデリングしてくれたら、ほかの働くお母さんたちも今よりもっと働きやすくなるわよ」
と言われました。
正直、そういうならまずは上層部が働きかたを見直すべきだし、なぜ私が自分の身を削ってまでもこの病院のモデルにならなければいけないのか意味が分からず
辞めようか悩んでいた気持ちがすっとなくなり退職を決意するに至りました。
部長の言葉は大きかった。
【女性・看護師】
32歳のときに、総合病院/緩和ケア病棟から、訪問看護/訪問看護に転職。

【転職の決め手】
うつ症状がひどく、自傷行為を繰り返していた。
精神科の主治医と弟だけは私の自傷癖を知っていて支えてくれたが、両親には言えなかった。
このような状況になったのもモンスターペイシェントに意味不明なクレームをつけられ、人間性も看護師としてのキャリアも否定されたせいだと思った。
私こそ、その患者に復讐したいとさえ思った。
しかもその患者は同じ大学病院の系列病院から来た患者で、もともとモンスターペイシェントであるという情報があったにもかかわらず、それが申し送りされておらず、モンスターペイシェントに対しての対策もしていなかった。
それでモンスターペイシェントに振り回されてちゃんと働いてる医療従事者(看護師・医療事務・栄養士)がクレームを言われるのを放っておく大学病院が理解できなかった。
そもそも私は前の病棟で看護研究をしており、研究を続けたいことを師長に面接で告げていたにも関わらず異動させられ不満だった。
何もかもが不満で、何もかもが許せなかった。
病院のだれも信用できなかった。
この状況でこの病院では働き続けられないと思った。
友人は心配してくれたが、ICUの人間は誰も気にしていなかった。
私がクレームを言われうつ病を発症したことすら知らない人間が多数いた。
ICUの師長もなんの精神的ケアをしてくれなかった。
不満しかなく辞めようと思った。
退職したいことを師長に告げたら即日退職となった。
本来なら退職の1か月前に申請しなければいけないはずだが、仕事ができない人間は必要ないのだと思った。
急に無職になり、困惑したが、こんな病院やめてよかったと思った。
【女性・看護師】
32歳のときに、大学病院/ICUから、病院/重度障害者病棟に転職。

【転職の決め手】
妊娠してから受け持ちを外されフリー業務中心になり、力を使う体位変換やおむつ交換、雑用業務をすることになりました。
毎日立ちっぱなしだったり走り回る毎日でお腹が張る事が増えてきました。
師長に相談すると「私も妊娠していた時は普通に業務をこなしていました。」と言われ甘えていると理解して貰えませんでした。
周囲の未婚や子どものいないスタッフからは、「自分が望んで妊娠したんでしょう?」と言われ、精神的にもおいこまれました。
切迫流産になり絶対安静の為に病院を暫く休み復帰した初日、一人の看護師に呼び出されました。
「休んでいて皆に迷惑かけた自覚がないの?土下座して謝るべきでしょう」と言われました。
確かに休んでいた間な皆で協力してやっていたと思います。
だけど私以外にも体調不良で1ヶ月休んだ人もいたのにそんな扱いは受けていなせんでした。
妊娠する前は普通に接していたスタッフからの言葉に衝撃を受け退職を決めました。
【女性・看護師】
33歳のときに、病院/内科から、デイサービスに転職。

【転職の決め手】
いつになったら助産師として1人前になれるのか、その展望が見えなかったし、それまでに自分が体調をくずしてしまうのでは、と考えるようになった。
加えて、残業や有給をとりにくいこと、上司がそれを当たり前のようにしていたことも、気になった。
労働力を搾取されているとかんじたし、職員を大切にする風潮が薄いようにも思った。
同期とはそういう話でよく共感しあっていたが、病棟内のそういった体質が根深いと感じられ、それを変えていくことは難しいだろうと思い、もっと自分らしく働ける職場を探してみようと思い立った。
同期も同じような思いでいたため、前向きに応援してくれた。
労働組合の方も同じだった。
自分が退職して半年後に同期も退職した。
【女性・看護師】
33歳のときに、総合病院/産婦人科から、総合支援学校に転職。

【転職の決め手】
出勤したらいきなり上司から「ちょっと!これどうなっているの?」とみんなの前で怒号が飛んできたことです。
寝たきりの利用者さんがいてご家族が帰宅したらベッドの頭側が上がっていたとのことでした。
「自分ではリモコンを動かせないからおかしい。」という状況です。
この利用者さんは複数の訪問看護、訪問介護も介入していてうちの会社だけではありません。
私は帰宅する時はちゃんと確認してから帰る事を心がけており、「しっかり確認しました」と伝えましたが上司は「あなたでしょ」と聞く耳を持ってくれませんでした。
結局ベッドを操作したのは他の会社の方だったのですが上司は謝罪もなし。
疑うだけ疑って何、その対応!?ととても腹が立ちました。
こんな上司も下では働けない。
そう思いました。
【女性・看護師】
33歳のときに、訪問看護/訪問看護から、総合病院/地域包括ケア病棟に転職。

【転職の決め手】
他の人よりも実習指導者や係、研究、プライマリーグループのリーダーなどさせられていて、ありえない量の仕事をさせられていた。
人出がなく、一年限定でしていた仕事もあったが、上司がかわり、抗議をしたが、継続して同じ量の仕事をさせられた。
そのうち突発性難聴を発症したが仕事を休めず受診もできなかったため、その日だけは仕事が終わったらある程度の受診できる時間で帰りたいと上司に伝えていたが、全然配慮がなく帰らせてもらえなかった。
元々その上司になってから休みがもらえなかったり、時間外業務が多く疲労していたのもあり、夜も中途覚醒したりイライラして抑えられないなど限界を感じており、絶対に辞めてやると決めた。
結果その通りに辞めた。
【女性・看護師】
34歳のときに、大学病院/脳神経外科から、総合病院/外来に転職。

【転職の決め手】
看護師でちょっと風変わりの人がいて
いつも人に聞こえない程度の音量でブツブツといつも言っていた。
見た感じも清潔感があまりなく一緒仕事をしているととても不快で気持ちが悪く鳥肌がたつこともあった。
他の看護師で電話が大好きな人がおり、週に2回ぐらい電話をかけてきて職場の悪口スタッフの悪口を2〜3時間は聞かされた。
仕事がきちんと出来る人だったので周りの事がとても気になるようだった。
せかすように電話で話してくるので切るに切れない状態だった。
楽しい電話なら良いがこんな内容の電話はゴリゴリだと思い、電話にその人の番号が表示されると出ない事にした。
電話に出なかった翌日は外来が終わってから診察室に残って話を聞かされた。
その人は良かったかもしれなかったが私はもう散々だった。
【女性・准看護師】
35歳のときに、療養型病院/整形外科内科から、診療所/整形外科に転職。

【転職の決め手】
時間短縮で病棟勤務をすることが難しくフルタイムで維持できないか、両親にも相談したのですが共働きのため難しく、また子供が発達障害であったことを考え退職を選択しました。
退職後学校の送迎の付き添いが必要だったため退職してよかったと思います。
子供を産んでから(産休、育休を除く)仕事を辞めたことがなかったので子供の様子を見ながらまた仕事しようと思いました。
同時に仕事を辞めたことで学校の役員を担うことになり良かったと思っています。
しかし、しばらくすると学校に行っている間自分はどう過ごしてよいのかわからず戸惑う日々を送っていました。
両親は辞めてよかったと話していましたが、主人は仕事しない私をあまりよく思っていないようでした。
【女性・看護師】
36歳のときに、老人向け施設/回復期リハビリ病棟から、老人向け施設に転職。

【転職の決め手】

理不尽な事で怒鳴られたり、他人がしたミスも私のせいにされたり、同期の看護師への文句を言われたりする事が、たまにではなく、常日頃だった事が一番の絶対にやめてやる!!に繋がった。
更には、子供のいる前で、文句を言われたりするので、子供が私を心配した事は、胸が痛んだ。
気を使ってした事を、やる気がないと受け取られ、やる気が無いならいいです。
と、持っていた検温表を取られそうになったので、やります。
と、紙を持っている手を引いたら、紙を引っ張られ検温表が破けた時は悲しかったのですが、それで終わらず、休憩時間になったので、休憩室に行ったら、その先輩看護師が、声高らかに、その時の話をし、高笑いしていたのを聞いた時は、グッと堪えましたが、帰りの車の中で涙が止まらなかった。
それ以降、休憩室では休憩せず、学生達と共に食堂で休憩するようにした。
周りは心配する人もいたが、公に心配する事は、自分達も危険なので、声を上げてくれる人はいなかった。
【女性・看護師】
41歳のときに、病院/透析から、総合病院/整形外科に転職。

【転職の決め手】
長年希望の部署に異動させてもらえなかったことについては、ずっと不満に思っていました。
それに加えて忙しいすぎることで、仕事量が増え、休憩もとれず年休も年に1日しかもらえずでした。
その1日も交渉して嫌味を言われながらもらった休みだったのです。
師長はたくさん年休を取得しているのに。
理不尽でなりませんでした。
更にがん患者さんのことで認定看護師に相談をしたら、私の看護師人生についてバカにされ、そこは関係ないだろと腹が立ちました。
こんな人間が勤務している病院なんかにいたくないと思い、転職を決めました。
その認定看護師はナースステーション内の机に足を上げて踏ん反りかえっている態度の悪いヤツでした。
誰もその看護師に相談はかけていませんでした?
【女性・看護師】
44歳のときに、総合病院/消化器内科病棟から、総合病院/外来に転職。

【転職の決め手】
腰を痛めて傷病の休暇をとっていた時期がありました。
迷惑をかけていたのは重々承知していますが、周囲の冷たさがつらかった。
もし自分なら出勤できないほど体調が悪い同僚がいたらLINEくらいはするだろうなと思いました。
上司の事務的な態度も「組織としてどうなのか」とも思い不信感が募りました。
看護師として働くなら患者さんへはもちろんだが同僚同士も思いやりが欲しいなぁ・・と思った。
自分のことではなくても以前から誰かに冷たく当たったり、思いやりのない言葉をいう看護師が多かったので気になっていた。
入職の頃に一緒に働いていた方に辞めることを伝えた時にはすごく悲しんでくれた。
同時に応援もしてくれて嬉しかった。
病棟によって空気が違いました。
【女性・看護師】
45歳のときに、総合病院/精神科から、老人向け施設に転職。