【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・21歳〜25歳女性(23人)

【看護師の転職体験談】転職を決意した決め手・21歳〜25歳女性(23人)

【転職の決め手】
始業30分前には勤務していろと言われることに違和感を覚えました。
残業代も出ないのにそうやって言われることが苦痛で仕方なかったです。
師長も怖い人でよくイライラしてる割には自分もよくミスをしていてこんな人の部下として働きたくないと感じました。
常にイライラしている人と一緒にいるのは気が引けてやりづらかったし、患者さんにも嫌われているような人だったのでこの人の部下でいることは時間の無駄なのではないかと思い始めてきたのもきっかけです。
周りの人は、私のことを根性なしと笑いましたがはっきり言ってすぐに辞めると決断した自分に拍手です。
周りの目よりも自分自身に問いかけて答えを探すべきだと私は思ったので周りに相談するのは時間の無駄です。
【女性・看護師】
21歳のときに、診療所/療養型から、診療所/透析に転職。

【転職の決め手】
学生として初めて働いた時に、実習に行っていた時点で、病棟勤務の看護師はちょっと違うなとおもっていました。
新卒は病棟で働いた方がいいと看護教師に説得され、しぶしぶ病棟に勤務しましたが、働き始めて初日に、もう辞めたいと思いました。
その日からもう仕事の全てが苦痛で、早く辞めてしまいたいとしか思っていませんでしたが、すぐに辞めてしまうと、次の転職に響くと思い、1年頑張って働いて転職しようと決めました。
色んな上司からあらゆることを、仕事と両立しながら勉強しなさい、提出しなさいと散々言われましたが、辞めることを決意しているので、なんのやる気も出ずあまり勉強していませんでした。
そのため、上司からしたらやる気のない後輩と思われていたと思います。
【女性・看護師】
22歳のときに、総合病院/精神科から、老人向け施設/介護施設に転職。

【転職の決め手】
多重業務に体が慣れず、優先順位を間違えたりルートをとるのに手間取っていると『邪魔だからあっち行って』など強い口調で注意されることが何度かあり私自身萎縮しながら先輩に声をかけるようになりました。
その態度が気に入らなかったのか、業務に関係ない内容でも陰口を言われ、次第には休憩中に仲間はずれにされ一人でお昼を食べることもありました。
そのうち私の聞こえるところでわざと複数人で悪口を言われました。
一生懸命看護師になるために学生時代を過ごし、国家試験に合格したというのに人間関係で辞めるのは馬鹿馬鹿しいと思いこらえてできることは努力しました。
しかしやはり体調を崩し手や声の震え、冷や汗が止まらなくなりました。
師長に退職したいことを相談するも辞めさせてもらえず、そのまま独り立ちし夜勤勤務が始まりました。
ペアの看護師が仮眠中の見回りで急変を見つけ、大量の下血とショック状態で血圧計では計測不可だった際にパニック状態に陥りました。
震える声でヘルプを要請したので大事には至りませんでしたが、そこでようやく休息をかねて師長が休職としてくれてそのまま退職しました。
【女性・看護師】
22歳のときに、総合病院/混合科(整形外科、眼科、口腔外科、歯口科)から、美容外科/美容皮膚科に転職。

【転職の決め手】
夜勤回数が1ヶ月に12回あるシフトの時もあり、体力的にしんどさを感じていた。
しかし集中治療センターという特殊な病棟だったからか、人員補充のために移動してきた看護師がプレッシャーや人間関係に耐えられず、すぐに辞めてしまったり来なくなってしまうことが多かったため夜勤回数が減ることはなかなかなかった。
看護師長のシフト作成も上手ではないため、深夜の次の日も深夜だったり、準夜の次の日も準夜だったりと、仕事が終わってもまた短いスパンで出勤しなければならないことも多かった。
若いうちは体力的についていけても、この生活スタイルが何年何十年と続いていくのだと考えた時に、辞めるのであれば早いうちがいいのではと思った。
【女性・看護師】
23歳のときに、総合病院/集中治療センターから、病院/一般病棟に転職。

【転職の決め手】
仕事をしていて適応障害を発症し、うつ状態となったためまずは休職しました。
通っていた心療内科が自分に合わないと思ったため、地元に帰り、地元の心療内科を受診すると入院を勧められて、2か月ほど入院することになりました。
休職して最初の頃は、元気になったら戻るつもりでいました。
しかし、だんだんと自分が今の仕事を続けたいのかすら分からなくなり、悩みました。
心理カウンセラーと相談する中で、転職する道があると知り、いろいろと自分で調べるようになりました。
転職を考える方が自分の精神的な辛さもなくなり、前向きな気持ちになれることに気付いたので退職を決意しました。
周りは、そんなに簡単に決めて大丈夫か?という反応でしたが、最後は自分の意思で決めました。
【女性・助産師】
23歳のときに、総合病院/産科から、診療所/産婦人科に転職。

【転職の決め手】
もともと「白衣の天使」にあこがれている訳でもなく、親が看護師の訳でもなく、看護師になるという自覚が足りませんでした。
その中で、実習で行った地域医療の分野は楽しく感じました。
どうしても看護師をやりたいという自覚もないまま、総合病院の看護師となり、他の看護師はこなせる業務を一人こなしきれず、ミスも多く危なっかしい日々が続いていました。
ほかの看護師がミスをすると「自分じゃなくてよかった」とホッとし情けない気持ちになりました。
最終的に「仕事に行くくらいなら死にたい」と朝、涙がでるようになりました。
退職日が決まった後、「(辞めて当然だよ)私もここはやめるよ」と声をかけてくれた看護師さんがいて少し気が楽になりました。
周りも、「しょうがないよね」という感じだったと思います。
【女性・看護師】
23歳のときに、大学病院/脳神経外科から、病院/リハビリ専門病院に転職。

【転職の決め手】
残業が多すぎてプライベートの時間を楽しめていない自分がいることに気づいたからです。
本当は社会人になっても、中学から続けていた吹奏楽を社会人の吹奏楽団に入って続けたかったのに、残業で練習に参加できないかもしれないと思うと、あきらめざるを得ませんでした。
特に吹奏楽は一人で出来るものではないので、みんなで集まって練習する必要があります。
私一人のせいで他のメンバーに迷惑をかけてしまう恐れがあったので、それを考えると申し訳ない気持ちになりました。
プライベート時間をもっと充実させるために、仕事をしてお金を稼いでいるはずです。
決して仕事をするために生活しているわけではないはずなのに、これでは仕事のための生活になっていると感じました。
【女性・看護師】
23歳のときに、総合病院/泌尿器科から、療養型病院に転職。

【転職の決め手】
ストレスによる体調不良で発熱、嘔吐。
精神的にもまいってしまい、家族から精神科受診を勧められ、医師からうつ状態と診断される。
これを期に、有給消化、休職を2カ月程してから退職。
病院からの状態確認という名目の言葉のナイフでめった刺し電話、復帰後の周りの目に対する不安で体調もさらに悪化して退職するまでは地獄の日々だった。
退職届を提出する時に病棟へ挨拶へ行ったが、精神的に不調が続いていることを知っているからか、ほとんど話しかけてくる人もおらず。
お局様にいたっては無視される始末。
退職して良かったと思ってしまった。
看護部長からは、お礼奉公も終わってないし、休職までして帰ってこないなんてと長々と説教を受けたが、お礼奉公が終わってないから、借りたお金は全額返金するんだから、頼むから体調不良の奴に文句言わないでくれと思った。
【女性・看護師】
23歳のときに、急性期病院/内科から、療養型病院/整形外科、内科、眼科に転職。

【転職の決め手】
同期がいじめを受けていたのが辛かったからです
自分は割と贔屓されていた方で、同期はその逆、いじめやパワハラの対象になっていたため、それを見るのが辛くて逃げました。
もう見ていられないくらいの罵り、パワハラでした
業務も時間内に終わらず、帰ってから寝る間も惜しんで勉強。
知らず知らずのうちにストレスを抱えていたようでうつ病になり、ドクターストップがかかったのでそのまま休職。
休職後復帰したのですが、周りの腫物に触るような態度や、やっぱり業務内容がそれで少なくなるわけではないので、同じことの繰り返しだろうなと思いつつ働いていたところ、うつ状態が再発しドクターストップ。
そのまま退職しました。
自分がやめてやる!と思ったよりも、ドクターストップや、周りの人に止められた感じです。
【女性・看護師】
24歳のときに、大学病院/呼吸器、循環器、内分泌、腎臓内科から、病院/精神科に転職。

【転職の決め手】
勤めて2年ほど経過した時に、胃炎や生理不順や動悸などが立て続けに起こり、病棟の先輩に相談したところ、「そんなの夜勤やってる人の皆んなが通る道だから。
3年以上耐えれば慣れちゃうよ。」
と笑って言われた。
こいつら、狂ってやがる…!と感じ、その瞬間退職を決意した。
体調不良が続いていた時、夜勤の数時間前に突然嘔吐してしまい動悸もあり、副師長に連絡したら「は?体調管理ができていない。
夜勤の数時間前に言われても迷惑。
もっと前から分かったんじゃないの?どれだけの人に迷惑をかけるか自覚して。」
と怒られた。
突然の体調不良を予測しろなんて不可能だし、理不尽だと感じた。
周りの先輩方は体調不良が当たり前という生活を送っていて、それでも看護師として病院で働きたいというキラキラした人達ばかりで、自分はこれ以上この職場にいたら早死にしてしまうと感じた。
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/呼吸器内科から、老人向け施設/老人保健施設に転職。

【転職の決め手】
新卒で入職し、同じ病棟の同期が5人いました。
辛い新人の時期を一緒に過ごした仲が良い同期が病棟を異動したり、退職をしました。
医師とのやり取りだったり、上司との関わりだったり、患者のことで沢山悩み、ストレスを感じていましたが同期がいたからこそ頑張れました。
しかし、その同期がいなくなることで働くモチベーションが徐々に下がっていきました。
モチベーションが下がった中で、働くことはとても大変であり、仕事中は心ここに在らずというような感じでした。
自分自身もそのような状態に気づいており、インシデントが起きないようにと注意をしていました。
そのような日々がこれからも続くのかと思うとやりがいも感じられなくなっていきました。
退職することについて周囲は残念そうにしていました。
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/消化器外科、肝臓内科から、老人向け施設/有料老人ホームに転職。

【転職の決め手】
田舎だったので、とにかくこの病院で局になりたくない。
田舎しか知らないまま生きていたくないという気持ちが1番強かったです。
あとは、関東地方に行かないと美容クリニックがないので、田舎ではなく東京で看護師をしてさまざまな経験を積もうと決めました。
反対する父親との関係も悪く、仕事辞めるなら縁を切るまで言われました。
引っ越すまですごくストレスで、食事もろくに摂取できない状況になりました。
一層のことのまま転職しないでここで働いていた方がいいのかな。
という考えもよぎりました。
でも、やりたいことをやっていいと背中を押してくれた母親がいたし、母親は、私と父親がもし縁を切るとなっても「私がいるでしょ」と言ってくれた言葉が1番私背中を押してくれたと思い、やっぱり転職しようと決意できました。
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/救命救急センターから、大学病院/脳外科・神経内科に転職。

【転職の決め手】
病棟でトラブルが起きた際に、お局ナース達が全ての責任を自分に追わせてきた。
朝礼でも吊し上げるかのように名指しで説明。
先輩ナースにもそのような餌食になっている人を見ていたため、自分の番が来たかと思い、もうこんな人達と働くのは辞めようと思った。
周りのナースたちもお局達には逆らえず合わせている感じで誰も信用できない。
辞めたいという意志を師長に伝えた際に、あなたのような経験の浅いナースは他の病院に歓迎されないと言われた。
その師長は、新人から入職しその病院でしか働いたことがない、ザお局ナース。
辞めると言った次の日には師長の仲間のお局ナース達に言いふらされ、冷たい対応を受けた。
有給はたくさん残っていたのに全く消化させてもらえず、辞める日を指折り数えて無心で働いた。
【女性・助産師】
24歳のときに、総合病院/産婦人科から、病院/産婦人科に転職。

【転職の決め手】
勉強をしてないと言われた。
自分なりにしていたが、それはあくまで患者に不利益な事象を起こさないための勉強。
しかし、環境的に勉強をする目的はマウントを取るためのもののような気がしてこの環境で働いていたくないと思った。
そしてなりより、看護師ではあるが私も女。
先輩はみんな独身でお世辞にも綺麗とは言えない容姿。
頭は良くてもキャリアがあっても、私は女としての幸せが欲しい!
私の理想とする将来はきっとキャリアではないんだろうなと思って、意識の違いを感じ転職を決意した。
転職表明した直後、他の部署へ手伝いに行かされたり、待遇はきっとよくなかったんだと思う。
周りからはあまり好かれていなかったというか、呆れられたけど、でもいい!
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/集中治療室から、総合病院/療養病棟に転職。

【転職の決め手】
夜勤明けに体力の限界が来て、パニック障害を再発してしまった。
その日は寝ていないと体がつらてもう動くことが出来なかった。食事も睡眠も取れなくなり、極限の限界を感じた。何とか帰宅することが出来たという感じだった。その前から眠れなかったり、自然と涙が出るなどの症状はあった。もうこれ以上は頑張らない方がいいと思った。
周りの先輩方は、もう周りのことは気にせず休養を取りなさいと言っていた。病棟の師長さんも、驚いてしまい長い休暇を取れるように調整してくれた。
周りにはよく思わなかった人もいたみたいで1度復帰した時は、なぜ辞めなかったのか?無理してもくるべきだと色々言われた。
それが引き金でもうここにはいられないと思った。
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/重症心身障害から、訪問看護/訪問看護ステーションに転職。

【転職の決め手】
当時電子カルテではなく、紙のカルテで運営がされていて、お年を召した院長先生も、手書きの処方箋を出すような病院で、末期の方や、急性期の方も中にはいたので、非効率的な作業が多いと感じられる場面がありました。
また、家族経営の病院では、息子ファーストな一面もあり、私たち看護師の立場から物を言っても、通らない、聞いてもらえないといったこともありました。
転職をしたいと思ったのは、急性期で、どんなことを治療しているのか、大きな病院ではどんな仕事の仕方をしているのかとても興味がありましたが、一族の経営で成り立っている病院との違いを感じてみたい部分もありました。
転職前の職場は、古い病院から、まさに建て替えの真っ最中に就職をし、建て替えられた病院の立ち上げで携わることができた為、仕事本来のこともありますが、色々なことが経験できたのは、看護師人生の中でも、大きな出来事になりました。
【女性・看護師】
24歳のときに、総合病院/消化器外科・内科、脳神経外科、整形外科、内科などから、急性期病院/消化器外科・内科、泌尿器科、救急病床の混合病棟に転職。

【転職の決め手】
第一に残業の多さ。
朝7:00には電子カルテでの情報収集や点滴、薬の準備をはじめ、昼休憩は長くても30分。
ほとんどは10分程度。
そこから1度も水分補給の休憩の時間もなく23:00くらいまでぶっ倒しで働く。
遅い時は25:00まで働いた。
途中トイレに行く暇もなく、生理の日は夜用ナプキンを付けていても漏れるくらい。
夜勤は19:00から働き、途中仮眠が長くて2時間、多忙で休憩無しの時も多々あった。
そして、11:00くらいまで働く。
遅い時は15:00まで病棟にいた。
この仕事量の多さで肌はボロボロ、食事も入らないほどの疲労。
帰宅しても風呂に入る元気もなく、玄関で横になっていたこともあった。
仕事量以外には、看護師間の人間関係。
基本的に挨拶は無視されるのが当たり前。
機嫌が悪い看護師には八つ当たりされ、文句を言われたり、目の前で物をぶつけるなどの苦痛を与えられる。
また、同期が目をつけられており、目の前で同期の悪口を言い、私にも意見を求めてくる。
私を含め3人いた同期は、1人は入って1ヶ月で勤務中にストレスで嘔吐を繰り返して退職。
2人目は6月より鬱病で休職、数ヶ月後、日勤のみで復職したが、退職。
同期がいなくなり、孤独を感じた上に、同期が退職したり、急遽休んだりしたことで、私が休日の日にいきなり職場から電話で出勤するよう言われたり、夜勤回数を増やされたり、同期に怒りを感じてしまった。
以上が私がこの仕事を辞めたいと思った理由。
転職を報告した周りの反応については、彼氏は、今までの頑張りを認めてくれ転職を支えてくれた。
父も心身共に疲労していた私をみていたため、早めの転職をすすめてくれていた。
母は私が転職することに残念がっていたが、最終的には自分の人生だから、自分の後悔のないように選びなさい、と転職を応援してくれた。
【女性・看護師】
25歳のときに、大学病院/頭頸部外科・血液内科の混合病棟から、診療所/内科に転職。

【転職の決め手】
前の職場環境が嫌だからではなく、学びたい事があったから転職した。
新人として病状の落ち着いた人が居る地域包括ケア病棟で働いていた為、急変時の対応が分からなかった。
また急性期の状態が分からないから、患者さんが退院したあとどんな事に気をつけたらいいとか分からずに、退院指導に難しさを感じていた。
また同期で急性期病棟に配属された子が、その分野に実力を付けているのに何も分からない自分に焦りを感じた。
また、地域包括ケア病棟と言っても、中には病状が悪くなる人もいて、症状の変化に気づけなかったり、対応が分からない自分に焦りを感じた。
また、病状が安定しているからこそ医師との連携も少なく、どのようなコミュニケーションを図ったらいいかとか、どのような事を聞いたらいいか分からなかった。
【女性・看護師】
25歳のときに、総合病院/内科から、総合病院/内科に転職。

【転職の決め手】
今まで救急しか経験がなかったので、転職して訪問看護をするまえに、一度一般病棟で働いてみたくて、異動希望を出した。
2年目のときに師長に希望を出した。
時期は、毎年来年度にむけての意向調査が行われる10月頃だった。
しかし、師長に、異動希望を出したあとに行われた面談で、「あなたを異動させる気はないから。」と一蹴され、「異動希望取り下げるなら期限今日までだから、今日中に取り下げの用紙持ってはやく私のところに来て。」と言われ、話もまともに聞いてもらえなかった。
こんな言い方をされた上、このまま残っても一般病棟に行くことは確実に無理だと思い、辞めることにした。
 
周りも、同じように話をまともに聞いてもらえなかったことから、同じ年に10人弱辞めた。
【女性・看護師】
25歳のときに、大学病院/救急病棟から、訪問看護/訪問看護に転職。

【転職の決め手】
やはり休職して戻ろうと思ったときに上司に相談したことによって、そのときの病棟の空気がものすごく悪かった。
腰が痛いだけで3ヶ月も休んでる、こっちは大変なのに。
大袈裟に痛がっている、帰ってきてからもデスクワークしかできないなんてありえない。
そんな言葉を聞いて自分を守ってくれる人はいないんだなと感じた。
ここで勉強しないとって思ってたが他でもきっと勉強できる。
毎日ネットで転職のことを調べていたら無理してまでここで働く必要がないんじゃないかと思うようになった。
同期も私を守ってくれず、自分のことを大事にしてくれる職場はきっとどこかにあるって思ってそのときに親に相談した。
親からはいつでも実家に戻ってきていいよと言ってもらっていたため迷わずに実家に帰ることを決めた。
【女性・看護師】
25歳のときに、急性期病院/循環器内科、心臓血管外科から、療養型病院/地域包括ケア病棟に転職。

【転職の決め手】
仕事は続ける中で、きちんとしたお休みはいただいているものの、勉強会やサマリーの作成などなにかしら病院へ行かないといけない予定が多く、休みも休んだ感じがしませんでした。
また、一緒に働いている先輩を見たときに、こういう先輩のようになりたいという憧れるような先輩はおられなかったです。
結婚・出産をされても続けている方もおられましたが、それはごく一部の方でほとんどの方は退職されていました。
ライフステージが変わっても働き続けることが難しい病院なのだと感じました。
さらに、有給消化ができないこと、妊娠中のスタッフに対しても体調が悪くても容赦なく仕事をさせていたので、この病院はスタッフを人間ではなく動いてくれる駒のように思っているのだなと感じました。
【女性・看護師】
25歳のときに、総合病院/小児科病棟から、美容外科/美容皮膚科・脱毛に転職。

【転職の決め手】
看護師長さんが代わって以前よりもさらに激務になってしまったことが大きなきっかけでした。
ベッドコントロールが上手く行っていないのか重症の方や介護度が高い患者さんが増えたり、シフトの組み方が悪く若手メンバーばかりいる日が増えたりして、日勤では休憩が10分しかとれない、2交代の夜勤で休憩がとれない、という日がとても多くなりました。
身体的に辛かったです。
また看護師長さんが代わったのは私が3年目になった年だったのですが、初めて日勤リーダーを任されるようになっていました。
激務と慣れないリーダー業務が重なりとてもストレスで「今年で絶対に辞めよう。
本当に疲れた。
このままでは私が病気になってしまう」
と思い、転職を決意しました。
【女性・看護師】
25歳のときに、急性期病院/消化器内科から、診療所/皮膚科に転職。

【転職の決め手】
師長へ辞める意向があることを伝えていたのに、私は聞いていませんと言われたこと。
奨学金制度利用していたため、終了の年数になるといろんな職員から辞めるのかどうか聞かれていたので辞めると話していたら師長からは上記のことを言われた。
部長にも辞めると伝えていたので、部長に報告し注意してもらった。
好き嫌いがハッキリしている師長で辞めると決まった職員に対して当たりが強くなるのを見てきたためついに自分の番が来たかと思った。
辞めるつもりから絶対辞めると心の底から思ったのはこの出来事である。
それまでは辞めなくてもよかったかなと思えるような職場ではあったので残念な方だなと思った。
それなりに忙しい病院であったため激務の時は辞めたいと思ってはいた。
【女性・看護師】
25歳のときに、総合病院/消化器外科から、老人向け施設/地域密着型特定施設に転職。